Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
母の実家が鹿児島だったのでよく訪問していました。国鉄末期も周遊券で旅してましたので東京や大阪へ繋がってる西駅の様子が思い出され、涙が出ます。
コメントありがとうございます。周遊券便利でしたよね。私もよく活用していました。
ドストライクの世代です。この頃中学生でした。鹿児島の祖父母宅へ良く行きました。20系臨時明星など、懐かしいです。日南の20系の後部の展望室で、赤いテールランプの色がレールに映るのを眺めてた想い出があります。はやぶさはチケットがなかなか取れませんでした。なは、明星、かいもん、日南のどれかを利用してました。彗星で都城まで行き、にちりんで鹿児島駅までとか。デカ目の475系とか、懐かしいですね。兎に角、想い出を語り出したらキリがないくらい、素晴らしい動画です。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。鹿児島本線回りか日豊本線回りか選べるのは良いですね。
高画質でスバラしい、私も中学生頃でした、熊本市内熊本駅近くに住んでました当時、有明の画像を見るとそれだけで当時の記憶が蘇ります西駅が鹿児島中央になる頃、鹿児島市内に住んでました、この頃の西駅は、知りませんでした貴著な画像ありがとう
急行さつま 鹿児島始発東京行き寝台特急はやぶさ 1958年11月開業当初は旧形客車を中心とした非冷房の列車でした。寝台特急「はやぶさ」の旧客車下り列車ではオハニ36、マロネ40(2両)、スロ54、オシ17が連結戦前製のマロネ29が外されたことで、戦後製客車に統一された編成となりました。
懐かしい映像をありがとうございます。駅から見える都通りの踏み切りのそばにあった歩道橋が懐かしい。今は老朽化で撤去されてしまいました。踏み切りの付近に祖父母の家があり、小さい頃は歩道橋へ連れて行ってもらい列車や操車場の入れ替えを眺めさせてもらいました。もうほとんど断片的にしか覚えてませんが。
最初に登場した臨時有明は間違いかと思って見ましたけど後ろの特急表示で納得しました らくだのキハともども懐かしい映像ありがとうございます こんな駅なら一日居ても飽きない空間です
貴重な映像ですねー、職員の方の動きもきびきびしており乗客はゆったりしていて良い時台でしたね。
はやぶさで西鹿児島に着いた時は下車した瞬間に熱波を感じました。鹿児島に到着したんだな、とつくづく思ったものでした❗1985年のGWでの母との初めての旅でした❗
コメントありがとうございます。動画を見てると、駅到着時の駅員による駅名の復唱がより心を掻き立てますね。
この時の西鹿児島駅にもう一度行きたい。
まだ新幹線ではなく、在来線優等列車が主役だった西鹿児島時代の現鹿児島中央駅の各列車のGW繁忙期の動画…最後まで興味津々で懐かしく拝見いたしました。当時の本州直通だった寝台特急[はやぶさ][なは][明星]、そして九州特急[有明]等を始め…どの列車にも数多くの乗客の姿があり、臨時列車の発着も相まって非常に活況を呈していた様子が伺えました。動画の初っぱなからいきなり25形寝台編成の臨時寝台特急[桜島]の到着シーンが展開され、詳細が分からなければパッと見は何でもない普通の臨時ブルトレの姿にしか見えませんが、この臨時寝台特急[桜島]の運転されている姿を動画に収めておられる方はそう多くはない筈で、何せ運転日も運転時間帯もごく限られていて非常に貴重な映像だと個人的には思います。当時はかつての夜行客車急行の愛称であった[桜島]の名がブルトレ編成の臨時寝台特急の愛称として使用されるとは夢にも思っておらず、当時新しい時刻表を買って来て初めて鹿児島本線のページを見た時はかなり驚愕したものでした。私にとっても実際に運転されていた事を動画で知り得る事が出来た非常に貴重な体験となりました。誠に感謝いたします。有難う御座いました🙏
コメントありがとうございます。私も幼い頃は時刻表を見て各地の臨時列車をどんな車両が使われるのか想像していました。しかし今は車両も単調になり楽しみも無くなり時刻表を見なくなりました。
@@mm0129 ご返信有難う御座いました。確かに現在は長距離の在来線優等列車は新幹線へと移行し、北は東北、北海道から南は九州、そして信州、北陸へと新幹線網が張り巡らされ、平成以降に生まれた子供達にとっては既に新幹線が長距離輸送の主役であり、ブルートレイン等の夜行列車は一般世間的にはもはや「レトロな昭和の老いらくな列車」と云う感覚に近いのだと思われます。当然ながらかつての主要幹線であった在来線の時刻表も年を追う毎に侘しい状況となり、新幹線開業時の改正ダイヤの平行在来線区間の時刻表に至っては時刻欄の空欄が大きく目立つ様になり、かつての賑わいは全く無くなってしまっています。それでも国鉄時代はまだ新幹線区間が限られていたので、それに接続する新たな在来線連絡特急が新設されたりで、比較的在来線も賑わいが感じられたりしたモノでしたが、現在は新幹線が開業した後の在来線は運が良ければ第三セクター鉄道として残るものの、そうでなければ列車統合や廃止は必然的で最悪路線廃止が一般的となり、時刻表上からも時刻欄から抹殺されてしまい、誠に寂しい時代になってしまいました。私もここ最近は復刻版の古い時刻表を眺めるのが殆どとなり、最新の時刻表は滅多に買わなくなりました。それに今の若い方々は「紙の時刻表」ではなく「スマホで検索する時刻表」で事足りるみたいな様ですね(笑)
当時は東京で上りのブルトレをよく撮ってました。まだ見ぬ西鹿児島とはどんなところなんだろうと思ってました。明星、いいですね。最大7往復走っていたことをケイブンシャかコロタン文庫で知り、興味持ってましたが、晩年は削減削減であっという間に消えてしまいました。結局なはは見ずじまいでした。これより以前は、富士も走ってたんですよね。。映像にも映ってますが、当時のちびっ子たちの姿、かつての自分のようで懐かしいですね。
コメントありがとうございます。私はこの動画の日に、父にお供させてもらって西鹿児島には行ったきりで、当時の記憶は残っておりません(涙
大学生時代 上京↔帰鹿の際いつも利用していた はやぶさ 帰鹿の際はキツプが中々買えず急行 霧島乗車にて当時 学割利用で¥1360。早速馴染みのラ―メン屋へ行ったものです!1回め東京オリンピック開催の頃の懐かしい想い出!ちなみに はやぶさ 片道 寝台だと¥2100 記憶しています。配信有難う❗️‼️‼️‼️🙇
「にしかごんま〜」というアナウンスが素敵です。😊こういう地方色は宝物です。✨大事にすべきですね。❤
懐かしい画像で西駅と呼ばれてた古き良き時代ですね😊なんだか私の若かりし日々まで思い出しました😢
コメントありがとうございます。西鹿児島駅にも略称があったのですね。
天文館からタクシーに乗る時、「西駅まで」と告げても、運転手は西鹿児島駅だと分かっていて通じていました。
コメントありがとうございます。やはり今は「中央駅まで」となるのでしょうか?
19:23 今では東京から北の大地へ向かう新幹線の名前となっている「はやぶさ」、結果的に新幹線最北端の駅(新函館北斗)と新幹線最南端の駅(鹿児島中央=かつての西鹿児島)の両方を知る列車名ですね。
コメントありがとうございます。今でこそ「はやぶさ」は東北の新幹線で馴染んできましたが、運行当初は違和感でしかありませんでした。
当時🙇小学生の私が夏休みに東京から西鹿児島へ富士に乗って、帰りはやぶさに乗った記憶があります。
はやぶさ、明星、なは...当時の西鹿児島発着の寝台特急の貴重な記録、しかも動画で。いつまで見ていても飽きません。自分は鉄道模型(HO)やっているのですがED76が欲しくなりました。
コメントありがとうございます。備忘録として上げてます。HOゲージいいですね♪
今では、多種多彩な車両達でこんなに賑やかだった西鹿児島駅も、九州新幹線開業と同時に、鹿児島中央駅に改名されて、更に車両も指宿枕崎線以外、787系きりしま&817系しかいなくなってしまいました~😭車両のバリエーションも、個性も失くなり、寂しく思います😢
コメントありがとうございます。昔は四半期毎に臨時列車など時刻表を楽しみに見ていましたが、今は見なくなりました。
14系座席の有明は知っていたけど、はやぶさ編成の臨時は知りませんでした。
コメントありがとうございます。予備車をフル稼働だったのかな?
一本目のブルートレインは有明じゃなくて寝台特急桜島じゃないかな?いずれにしても超貴重な動画なので眼福なのは言うまでもないです(笑)
コメントありがとうございます。ご指摘の通り、寝台特急「桜島」だったそうです。誤った表記により誤解を招いてしまい、申し訳ございませんでした🙇♂️
もう一度鹿児島中央駅からブルートレインになりたいな!
「西鹿児島」という響きも懐かしい❗
コメントありがとうございます。今でも西鹿児島と言ってしまいそうです。
@@mm0129 西鹿児島→寝台特急の発着地鹿児島中央→新幹線の発着地というイメージですね。どちらも同じ駅なのに❗
@@mm0129 さん年輩鉄は新山口も“小郡”と思いがち❗
@@mm0129 さん鹿児島中央→西鹿児島新山口→小郡JR難波→湊町長岡京→神足大阪城北詰→片町(位置はちょっとズレる)という感覚ですかね⁉️
寝台客車を昼行特急として運用してたんですね臨時とはいえ(^_^;)凄い
20系の牽引機に1000番台でないのが使われているということは電源車は改造されたカヤ21ですね。
牽引機の制約がある時があったのですね。
この時代には改造を施されて牽引機の制約なしで20系を運用できました
いつも夫婦2人で動画楽しみにしております
コメントありがとうございます。まだもう少しありますので、またアップした際はよろしければご覧下さい。
@@mm0129 有り難うございます
特急有明懐かしい。
今はこの上に新幹線のホームがあるのかな。だいぶ変わってしまったのだろうか。
新幹線が来るようになっても、地元の人旅行客にとってはやはり西鹿児島には思うものがあり、やたらと名前を変えなくても良いのでは⁉️西鹿児島にはそれだけ思い出があります
コメントありがとうございます。駅名を変えなくても。。と思いますね。
発車ベル、九州らしい音色ですね。
コメントありがとうございます。この頃はカラカラベルを聞くと「西に来たな〜」と感じました。
JR化後も使用されましたね。
西鹿児島の呼び方が、馴染みがある。新幹線開業で、よび変わるのは、いかがなものか!
コメントありがとうございます。わざわざ駅名を変えなくても…と思いますね。
小生も、小学生のころに富士に乗車して、帰りは、はやぶさで帰ってきましたが、西鹿児島のほうが、馴染みがありましたね、昔の駅舎の方が、駅らしくてスキだったんだけどな。 笑
でも市民にとったアンケートでは改名派の方が得票率高かったんだよね...鉄道マニアとしては残念でたまらない
鹿児島市民が選んだことごちゃごちゃうっさいねん
懐かしい
最初に映る臨時有明は明らかにはやぶさ編成。間合運用で有明に使ってたとは知らなかった。
コメントありがとうございます。当時の繁忙期は予備車もフル稼働だったんでしょうね。
ハネは座席車として使用していますね。はやぶさ編成となるとロネは回送扱いだったのでしょうね。
改めて見てみると、到着した下り「はやぶさ」のカニ24は「あさかぜ」専用といわれた100番台だ。品川所属の100番台は「出雲」に使われる事はあっても「はやぶさ」と「富士」の運用にはめったに入らなかったらしいのでこれは貴重。
@@mm0129 当時の時刻表を調べてみたら、博多0:24発西鹿児島6:12着の寝台特急「桜島」として運転されていました。運転日は5/3の1日だけでした。はやぶさ編成は西鹿児島で1泊するので、その間に使用したのですね。急行「かいもん」のすぐあとを追うようなダイヤでした。
@@TASHICHIEI 当時の時刻表を見ると、ちゃんと個室寝台のマークが載っていてオロネ25 も営業していました。
母の実家が鹿児島だったのでよく訪問していました。
国鉄末期も周遊券で旅してましたので東京や大阪へ繋がってる西駅の様子が思い出され、涙が出ます。
コメントありがとうございます。
周遊券便利でしたよね。私もよく活用していました。
ドストライクの世代です。
この頃中学生でした。
鹿児島の祖父母宅へ良く行きました。
20系臨時明星など、懐かしいです。
日南の20系の後部の展望室で、赤いテールランプの色がレールに映るのを眺めてた想い出があります。
はやぶさはチケットがなかなか取れませんでした。
なは、明星、かいもん、日南のどれかを利用してました。
彗星で都城まで行き、にちりんで鹿児島駅までとか。
デカ目の475系とか、懐かしいですね。
兎に角、想い出を語り出したらキリがないくらい、素晴らしい動画です。
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
鹿児島本線回りか日豊本線回りか選べるのは良いですね。
高画質でスバラしい、私も中学生頃でした、熊本市内熊本駅近くに住んでました当時、有明の画像を見るとそれだけで当時の記憶が蘇ります
西駅が鹿児島中央になる頃、鹿児島市内に住んでました、この頃の西駅は、知りませんでした貴著な画像ありがとう
急行さつま 鹿児島始発東京行き
寝台特急はやぶさ
1958年11月開業当初は旧形客車を中心とした非冷房の列車でした。
寝台特急「はやぶさ」の旧客車
下り列車ではオハニ36、マロネ40(2両)、スロ54、オシ17が連結
戦前製のマロネ29が
外されたことで、
戦後製客車に統一された
編成となりました。
懐かしい映像をありがとうございます。
駅から見える都通りの踏み切りのそばにあった歩道橋が懐かしい。今は老朽化で撤去されてしまいました。踏み切りの付近に祖父母の家があり、小さい頃は歩道橋へ連れて行ってもらい列車や操車場の入れ替えを眺めさせてもらいました。もうほとんど断片的にしか覚えてませんが。
最初に登場した臨時有明は間違いかと思って見ましたけど後ろの特急表示で納得しました らくだのキハともども懐かしい映像ありがとうございます こんな駅なら一日居ても飽きない空間です
貴重な映像ですねー、職員の方の動きもきびきびしており乗客はゆったりしていて良い時台でしたね。
はやぶさで西鹿児島に着いた時は下車した瞬間に熱波を感じました。鹿児島に到着したんだな、とつくづく思ったものでした❗1985年のGWでの母との初めての旅でした❗
コメントありがとうございます。
動画を見てると、駅到着時の駅員による駅名の復唱がより心を掻き立てますね。
この時の西鹿児島駅にもう一度行きたい。
まだ新幹線ではなく、在来線優等列車が主役だった西鹿児島時代の現鹿児島中央駅の各列車のGW繁忙期の動画…最後まで興味津々で懐かしく拝見いたしました。
当時の本州直通だった寝台特急[はやぶさ][なは][明星]、そして九州特急[有明]等を始め…どの列車にも数多くの乗客の姿があり、臨時列車の発着も相まって非常に活況を呈していた様子が伺えました。
動画の初っぱなからいきなり25形寝台編成の臨時寝台特急[桜島]の到着シーンが展開され、詳細が分からなければパッと見は何でもない普通の臨時ブルトレの姿にしか見えませんが、この臨時寝台特急[桜島]の運転されている姿を動画に収めておられる方はそう多くはない筈で、何せ運転日も運転時間帯もごく限られていて非常に貴重な映像だと個人的には思います。
当時はかつての夜行客車急行の愛称であった[桜島]の名がブルトレ編成の臨時寝台特急の愛称として使用されるとは夢にも思っておらず、当時新しい時刻表を買って来て初めて鹿児島本線のページを見た時はかなり驚愕したものでした。私にとっても実際に運転されていた事を動画で知り得る事が出来た非常に貴重な体験となりました。誠に感謝いたします。有難う御座いました🙏
コメントありがとうございます。
私も幼い頃は時刻表を見て各地の臨時列車をどんな車両が使われるのか想像していました。
しかし今は車両も単調になり楽しみも無くなり時刻表を見なくなりました。
@@mm0129
ご返信有難う御座いました。
確かに現在は長距離の在来線優等列車は新幹線へと移行し、北は東北、北海道から南は九州、そして信州、北陸へと新幹線網が張り巡らされ、平成以降に生まれた子供達にとっては既に新幹線が長距離輸送の主役であり、ブルートレイン等の夜行列車は一般世間的にはもはや「レトロな昭和の老いらくな列車」と云う感覚に近いのだと思われます。
当然ながらかつての主要幹線であった在来線の時刻表も年を追う毎に侘しい状況となり、新幹線開業時の改正ダイヤの平行在来線区間の時刻表に至っては時刻欄の空欄が大きく目立つ様になり、かつての賑わいは全く無くなってしまっています。それでも国鉄時代はまだ新幹線区間が限られていたので、それに接続する新たな在来線連絡特急が新設されたりで、比較的在来線も賑わいが感じられたりしたモノでしたが、現在は新幹線が開業した後の在来線は運が良ければ第三セクター鉄道として残るものの、そうでなければ列車統合や廃止は必然的で最悪路線廃止が一般的となり、時刻表上からも時刻欄から抹殺されてしまい、誠に寂しい時代になってしまいました。
私もここ最近は復刻版の古い時刻表を眺めるのが殆どとなり、最新の時刻表は滅多に買わなくなりました。それに今の若い方々は「紙の時刻表」ではなく「スマホで検索する時刻表」で事足りるみたいな様ですね(笑)
当時は東京で上りのブルトレをよく撮ってました。まだ見ぬ西鹿児島とはどんなところなんだろうと思ってました。
明星、いいですね。最大7往復走っていたことをケイブンシャかコロタン文庫で知り、興味持ってましたが、晩年は削減削減であっという間に消えてしまいました。結局なはは見ずじまいでした。
これより以前は、富士も走ってたんですよね。。
映像にも映ってますが、当時のちびっ子たちの姿、かつての自分のようで懐かしいですね。
コメントありがとうございます。
私はこの動画の日に、父にお供させてもらって西鹿児島には行ったきりで、当時の記憶は残っておりません(涙
大学生時代 上京↔帰鹿の際いつも利用していた はやぶさ 帰鹿の際はキツプが中々買えず急行 霧島乗車にて当時 学割利用で¥1360。早速馴染みのラ―メン屋へ行ったもので
す!1回め東京オリンピック開催の頃の懐かしい想い出!ちなみに はやぶさ 片道 寝台だと¥2100 記憶しています。配信有難う❗️‼️‼️‼️🙇
「にしかごんま〜」というアナウンスが素敵です。😊
こういう地方色は宝物です。✨
大事にすべきですね。❤
懐かしい画像で西駅と呼ばれてた古き良き時代ですね😊なんだか私の若かりし日々まで思い出しました😢
コメントありがとうございます。
西鹿児島駅にも略称があったのですね。
天文館からタクシーに乗る時、「西駅まで」と告げても、運転手は西鹿児島駅だと分かっていて通じていました。
コメントありがとうございます。
やはり今は「中央駅まで」となるのでしょうか?
19:23 今では東京から北の大地へ向かう新幹線の名前となっている「はやぶさ」、結果的に新幹線最北端の駅(新函館北斗)と新幹線最南端の駅(鹿児島中央=かつての西鹿児島)の両方を知る列車名ですね。
コメントありがとうございます。
今でこそ「はやぶさ」は東北の新幹線で馴染んできましたが、運行当初は違和感でしかありませんでした。
当時🙇小学生の私が夏休みに
東京から西鹿児島へ富士に乗って、帰りはやぶさに乗った記憶があります。
はやぶさ、明星、なは...当時の西鹿児島発着の寝台特急の貴重な記録、しかも動画で。
いつまで見ていても飽きません。自分は鉄道模型(HO)やっているのですがED76が欲しくなりました。
コメントありがとうございます。
備忘録として上げてます。
HOゲージいいですね♪
今では、多種多彩な車両達でこんなに賑やかだった西鹿児島駅も、九州新幹線開業と同時に、鹿児島中央駅に改名されて、更に車両も指宿枕崎線以外、787系きりしま&817系しかいなくなってしまいました~😭車両のバリエーションも、個性も失くなり、寂しく思います😢
コメントありがとうございます。
昔は四半期毎に臨時列車など時刻表を楽しみに見ていましたが、今は見なくなりました。
14系座席の有明は知っていたけど、はやぶさ編成の臨時は知りませんでした。
コメントありがとうございます。
予備車をフル稼働だったのかな?
一本目のブルートレインは有明じゃなくて寝台特急桜島じゃないかな?
いずれにしても超貴重な動画なので眼福なのは言うまでもないです(笑)
コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、寝台特急「桜島」だったそうです。
誤った表記により誤解を招いてしまい、申し訳ございませんでした🙇♂️
もう一度鹿児島中央駅からブルートレインになりたいな!
「西鹿児島」という響きも懐かしい❗
コメントありがとうございます。
今でも西鹿児島と言ってしまいそうです。
@@mm0129
西鹿児島→寝台特急の発着地
鹿児島中央→新幹線の発着地
というイメージですね。どちらも同じ駅なのに❗
@@mm0129 さん
年輩鉄は新山口も“小郡”と思いがち❗
@@mm0129 さん
鹿児島中央→西鹿児島
新山口→小郡
JR難波→湊町
長岡京→神足
大阪城北詰→片町(位置はちょっとズレる)
という感覚ですかね⁉️
寝台客車を昼行特急として運用してたんですね臨時とはいえ(^_^;)凄い
20系の牽引機に1000番台でないのが使われているということは電源車は改造されたカヤ21ですね。
牽引機の制約がある時があったのですね。
この時代には改造を施されて牽引機の制約なしで20系を運用できました
いつも夫婦2人で動画楽しみにしております
コメントありがとうございます。
まだもう少しありますので、またアップした際はよろしければご覧下さい。
@@mm0129 有り難うございます
特急有明懐かしい。
今はこの上に新幹線のホームがあるのかな。だいぶ変わってしまったのだろうか。
新幹線が来るようになっても、地元の人
旅行客にとっては
やはり西鹿児島には思うものがあり、やたらと名前を変えなくても良いのでは⁉️
西鹿児島にはそれだけ思い出があります
コメントありがとうございます。
駅名を変えなくても。。と思いますね。
発車ベル、九州らしい音色ですね。
コメントありがとうございます。
この頃はカラカラベルを聞くと「西に来たな〜」と感じました。
JR化後も使用されましたね。
西鹿児島の呼び方が、馴染みがある。新幹線開業で、よび変わるのは、いかがなものか!
コメントありがとうございます。
わざわざ駅名を変えなくても…と思いますね。
小生も、小学生のころに富士に乗車して、帰りは、はやぶさで帰ってきましたが、
西鹿児島のほうが、馴染みがありましたね、
昔の駅舎の方が、駅らしくてスキだったんだけどな。 笑
でも市民にとったアンケートでは改名派の方が得票率高かったんだよね...
鉄道マニアとしては残念でたまらない
鹿児島市民が選んだこと
ごちゃごちゃうっさいねん
懐かしい
最初に映る臨時有明は明らかにはやぶさ編成。間合運用で有明に使ってたとは知らなかった。
コメントありがとうございます。
当時の繁忙期は予備車もフル稼働だったんでしょうね。
ハネは座席車として使用していますね。はやぶさ編成となるとロネは回送扱いだったのでしょうね。
改めて見てみると、到着した下り「はやぶさ」のカニ24は「あさかぜ」専用といわれた100番台だ。品川所属の100番台は「出雲」に使われる事はあっても「はやぶさ」と「富士」の運用にはめったに入らなかったらしいのでこれは貴重。
@@mm0129 当時の時刻表を調べてみたら、博多0:24発西鹿児島6:12着の寝台特急「桜島」として運転されていました。運転日は5/3の1日だけでした。はやぶさ編成は西鹿児島で1泊するので、その間に使用したのですね。急行「かいもん」のすぐあとを追うようなダイヤでした。
@@TASHICHIEI 当時の時刻表を見ると、ちゃんと個室寝台のマークが載っていてオロネ25 も営業していました。